「時々停電する」電力

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4019?page=5

孫正義氏は「時々停電する質の悪い電気でも安ければよいという需要家もいるだろう」と言っている様だ。

 原理的に、市場メカニズムは、需要と供給の一致を保証しない。以前に何処かの本で読んだ指摘である。定説として受け入れられているのかどうかは知らないが、私は基本的に正しいと判断している。

 現実の世界における需要には、予期不能の揺らぎがある。揺らぎを見越して供給量を増やすと、供給者は売れ残りが発生するリスクを負う事になる。それでも、利幅が大きな商品であれば、揺らぎで上ぶれした際に上手く売れた場合の利益が大きいので、供給者は多めに供給する方を選択する。

 しかし、完全に自由な市場では、供給者が獲得する収益は限りなくゼロに近づく筈なので、供給者は売れ残りを発生させるリスクは取れなくなる。仮にその様な供給者が現れたとしても、競争上不利な行動をとって居るわけだから、自由な市場では生き残ることが出来ず、市場から排除される。

 よって、完全に自由な競争の下で取引される商品は、常に供給不足のリスクに曝されることになる。

加えて電力の場合、予測不能の需要の揺らぎに加えて、明々白々な需要の季節変動がある。春秋は少なく、夏冬は大きい。しかも、予め生産して蓄えておくということができない。そのため電力会社は、通常のメーカーであれば考えられないような、過剰な設備を保有する必要がある。逆に言えば、需要集中期における電力供給責任を他社に押し付け、自らは年間を通じて確実に需要が見込まれる程度の発電能力しか保有しないのであれば、発電という事業は旨味のある商売になる。

孫氏の発言は、氏が正にこの旨味を狙っていることの表れだと思う。

その様な孫氏の姿勢に対する評価は横に置くとして、「時々停電する質の悪い電気」を供給するという事業モデルはそもそも成り立たない。発電事業者は複数存在しても、送電網は一つしか存在しないからである。発電事業者のどれかが需要集中期に「俺のところは停電させる」事を選択し、自らが電力を供給して居る送電網をダウンさせると、それは唯一の送電網なので、全ての電力供給が停止する。

 やはり、電力供給の事業を、単純に自由化することは好ましくない。 そして一定量の余剰発電能力の確保を義務付ける規制が必要である。それでは大幅な電気代引き下げは難しくなるかもしれないが、そもそも電力事業というものがそういうものなのだから仕方が無い。孫氏は、現実を受け入れるべきである。

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なお、需要の変動部分を別市場として切り離すという対処も、その様な柔軟な供給を可能にするインフラが存在することを前提として、理屈の上では考えられる。

一般の契約者に対しては、予想を超える需要が発生した場合の電力供給を保証しないこととし、それでは困ると言う契約者には、その様な場合でも電力供給を保証されるという、高額のオプションを用意する。

オプションの価格を自由競争で決めさせる場合、先の議論によって、市場メカニズムは需要を満足する供給を保証しないので、電力不足が発生するリスクは残る。しかし、オプションにより追加の収入が得られるため、電力会社には、発電設備への追加の投資余力が生まれる。このため、大規模停電のリスクは、大きく低下する。また「オプションにお金を払ってまで、電力供給を保証してもらう必要はない」と考える需要家に対してまで、余剰の発電能力を確保する必要が無くなるので、無駄な設備投資を回避できる。これは社会全体として見て好ましいことである。

このオプションに近いことは今でも行われているが、オプションの選択の自由があるのは一部の大口契約者に限られる。現実問題として、現在の送電システムでは、一般家庭向けでそんな細かな制御は出来ない筈だ。それを可能にするためには、例の、スマートグリッド、とか言う膨大な投資を要するインフラが必要になるだろう。

やはり、一定量の余剰発電能力の確保を義務付ける規制を残す選択の方が、安上がりに済みそうな気がする。そして、その様な規制の下の自由化でも、それなりの意義はあるだろう。