不毛な復讐

企業が大きな事故を起こすと、得てしてその時の経営者が社会から厳しく糾弾されるものだが、では、その経営者が真にその事故の原因を作ったのかと言えば、そうではないことが圧倒的に多い。遥か以前に原因となる構造は形作られて居て、その時の経営者はその枠組みの中で行動して居たに過ぎない、と言う説明が、殆どの場合に当て嵌るのでは無かろうか?

この東電の件も然り。原発安全神話が浸透した組織の中で、”14m超の津波に襲われる可能性がある”と聞かされても、それは「将来地球に大隕石が落ちる可能性がある」と聞かされるのと五十歩百歩で有った可能性が高い。そんな立場に有った人間に、刑事罰を課すことに何の正当性があるだろうか?

罰すべし、と主張する人々は、恐らくは「悲劇の再発防止」を理由として上げるだろうが、根本原因がどこにあるのか特定しないまま、ルールを無視して闇雲に人に刑罰を加える事に、一体何の防止効果があるというのだろうか。真に悲劇の再発防止を願うのであれば、先ずは、一体何が本質的な原因で有ったのかを考えねばならない。

「疑わしきは罰せず」との原則は、被疑者の人権を保護する為だけに存在するものではない。社会として、真の原因を特定することなく、目の前の、一見した限りでは分かり易い"悪役"を叩いて、さも正義が達成されたかの如き錯覚と陶酔に浸りつつ、根本原因は放置される状況に陥る、そんな事態を防ぐための、戒めであると思う。

残念ながら、日本の中の少なく無い数の人々が、この無意味な起訴を支持し、その中には被災地の方々も含まれている様だ。

ただし、彼らが被災地の多数派であるとは限らない。本当の被災者はこんな無意味な"復讐'は、望んでいないのでは無かろうか。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014073102000253.html