「成功体験」は疑おう

   機関銃で武装した要塞陣地に対して肉弾突撃を何度となく強いて、多くの兵の命を無駄に奪った、近代戦史上稀な無能中の無能な将軍、と言えばこれまでの私の認識では exclusively に乃木希典だったのですが、少し訂正する必要がありそうです。同様の無能は同時代のヨーロッパにもかなりいて、第一次世界大戦で多くの兵卒が無駄に命を落とす結果を招いたようです。

   相手が槍や刀しか持っていないアフリカの現地民族との戦いにおいて、騎兵や歩兵による堂々の正面攻撃が圧倒的な大成功を収めて居たからと言って、機関銃で武装するヨーロッパの国相手の戦いで、同じことをやってはいけない。考えるまでもなく気づきそうなものですが、実際にはそうではなかった。やってしまって、惨憺たる結果を招いても、なお、旧来のやり方に固執した。

   成功は、人を盲にするのかもしれません。
   私は今の仕事をして居て「上手く行っている」という成功の感触を得ていますが、そのことが、却って不安を煽ります。先に潜む破滅のタネを見落としているのでは無いか。。。。

   なお、この事例は、軍隊という上意下達が徹底した組織であることが影響しているかもしれません。下位の若手が自らの意見を述べることが出来ないような組織においては、一旦”正義”が確立し、その正義を奉戴する者が組織の上部に立ってしまうと、容易にはその”正義”を修正出来なくなります。

   こう考えると、統制の徹底した組織は、短期的には大きな成功を収める可能性があるものの、次の瞬間、自らの成功体験が原因と成って崩壊するリスクを負っていることになります。

   身近な事例に照らしても、この結論は確かに妥当性を備えているように思われます。

http://www.nytimes.com/2014/07/29/opinion/adam-hochschild-why-world-war-i-was-such-a-blood-bath.html?emc=edit_ty_20140729&nl=opinion&nlid=61487034&_r=0